歴史と文化

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足洗池(あしあらいいけ)

地元では、「倭建命(やまとたけるのみこと)(日本武尊)は、東征の帰路、大和を目指したが、途中弟君の五十功彦命(いとこひこのみこと)(江田神社祭神)を訪ねようと当地に至った。しかし、命(みこと)は伊吹山の神の祟(たた)りにより重病に罹(かか)り、この池の清水で足を洗い小康を得た。」と伝えられています。わが国最古の歴史書「古事記(こじき)」における、倭建命の言葉「吾が足、三重の勾如(まがりごとく)して、甚(いた)く疲(つか)れぬ」を由縁とする「三重」の地は、他説もありますが、東坂部の国学者館通因(たちつういん)翁は、この足洗池の伝承などから、当地区こそこの三重の地であり、三重郡の中心であるとして、1889(明治22)年に西坂部、東坂部、生桑、山之一色、小杉の5ヵ村を合わせて「三重村」と名付けました。 記事一覧へ

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